嫌いという感覚

嫌いだから距離を置きたいというのは短絡的で、

そんなのはバカのやることだ。

と、言い聞かせているけれど、

お互いに嫌いな場合はそれに付随しない。

さて、わたしは数字が嫌いだし、

あいつもわたしが嫌いなはずだ。

だから、これは本当にお別れの時だと思う。

ミシンとわたしは好き同士だ。

時々喧嘩もするけれど、基本的にはもう情で別れることができない。

わたしには、情があるときとないときの差が激しい。

昨年別れた方には、情があったけれど、あちらにはなかった。

しかし数年前に別れた方には、情が全くなく、あちらには情があった。

因果応報とはこのことでしょうね。

さて、数字、お前には情のじの字もないの。

さようなら。

梅雨が明ける前に消えてよ、お願い!

広告を非表示にする

6/11

最近は心を閉ざしている。

いけないなと思うけど、

心が閉じてしまうのだから仕方ない。

誰も愛してないです、今日は。

はい。

広告を非表示にする

体が少し慣れました

どうなることかと思ったけれど、

何とか体も慣れてきました。

みんなの優しさに甘えながら、

わがままかも知れないけれど、

いろんなことあんまり気にしないで、

それで生きます。

愛しているよ。心から。

あーたまがいたいー

明日は初出勤なので、万全に万全を期して、もう寝ます。

みんな愛しているよ。

さようならば、さようなら。

環境が一気に変わります。

これは久しくなかったことなので、

とても緊張してしまいます。

わくわく。


古いものにはさようなら。

さようなら。

何だろうな、

どういう部分を必要としていたのかな?


優しくもないし、

嘘もつくし、

謝りもしない。

せめてありがとうくらい…

もういいや。


さようならば、さようなら。

そういうことなんだよな。


いいこと言うよね。



5/25

早朝です。空が明るいです。


昨日は病院で嫌なことを言われたけど、

結局そんなことを言うひとは、

余裕のないかわいそうなひとです。

哀れだな、わたしにかわいそうだと思われるなんて。


ときどき気の合わないひとはいるものです。

そういうひととは距離をとって、

自分をにごさないこと。

広告を非表示にする

5/18

母が生きていたら今日で64歳です。

わたしの記憶の中の母は歳をとらないので、

64歳の母を想像するのは少し難しいです。

白髪は増えているだろうか?

シワは増えているだろうか?

でも、一番考えることは、

今生きていたら幸せだっただろうか?ということです。


わたしの母は、病気でした。

なかなか理解してもらえない病気でした。

長く患っていたので、

いつかそういう日が来ることは、

覚悟していました。

でもそういう日は、

本当に普通の、なんでもない日でした。


「なにをやってんのよ」

優しい言葉をかけてあげればよかったのかもしれません。

だけど、誰にも頼らずに、 

さよならも言わずもう二度と会えない道を選んだことに、

優しい言葉が出て来ませんでした。


母を亡くして10年以上が経ちます。

南こうせつを見ると母を思い出します。

(似てたから)

母はよく夢に出て来ます。

わたしのことが、心配なのかもしれません。

頑張ります。

広告を非表示にする